「童謡・唱歌の世界」のMIDIの曲を使用させて頂きました。


鎌倉と湘南の風景

 鎌倉は、私が小学校から高校までの少年期を過ごした故郷です。毎月,友人に会ったり、親族の家に行ったついでなどに鎌倉の市内を歩いております。この二,三年の間に鎌倉市内の風景に、湘南海岸や江ノ島の風景を描いたスケッチ画を追加して、「鎌倉と湘南の風景」としてまとめました。


鎌倉市内の風景

 今までに描いた鎌倉市内のスケッチ画「鎌倉の風景」は、今まで3回に分けて掲載してきましたが、ここに掲載したのは「鎌倉の風景」(その3)です。



建長寺の総門と鎌倉学園高等学校

 北鎌倉から鎌倉市内へ向かう途中の山中に、諸堂伽藍が建ち並ぶ「建長寺」があります。入口の総門の左側に隣接して、昔は建長寺の寺子屋(教育機関)として発足した「鎌倉学園」中学・高校の校舎が見えますが、私の出身校でもあります。昨年久しぶりに学校訪問をいたしました。


建長寺の山門

 「建長寺」は鎌倉五山の一つで、臨済宗の大本山となっています。総門(巨福門)から境内に入ると正面に大きな三門(山門)が見え、その参道が桜並木になっていて、花の満開の時期には素晴らしい光景が見られます。


鎌倉・八幡宮の段葛

 鎌倉駅を降り、改札口を出ると正面に若宮大路が見えます。若宮大路を少し行くと、正面に大きな赤い二の鳥居と狛犬の石像が見え、ここから「段葛(だんかずら)」と呼ばれる桜並木の参道が鶴岡八幡宮へ向かって真っすぐ伸びています。


大巧寺の本堂

 「大巧寺(だいぎょうじ)」は鎌倉駅から若宮大路へ出た所の向かい側に赤い門のある小さな寺院です。ここは通称「お産女様(おんめさま)」と呼ばれている鎌倉時代の源将軍家にゆかりのある日蓮宗の寺で、昔は貧困者や病人の救済に活躍したといわれています。境内に入ると四季の花々が見られます。


桜が満開の鎌倉大仏境内

 鎌倉には桜の名所が多くありますが、ここは「鎌倉大仏」の名で知られている長谷の高徳院境内の桜です。満開の桜を見に来た花見客や大勢の海外からの観光客で大仏境内が賑わっていました。


カイドウの花が満開の光則寺

 長谷観音で知られる長谷寺に隣接する日蓮宗の「光則寺」本堂の前には、鎌倉市の天然記念物に指定されているカイドウの名木があり、毎年4月頃に濃いピンク色の花を咲かせます。


二の鳥居付近から見た段葛の桜

 鎌倉駅前から若宮大路を鶴岡八幡宮に向かって進む参道を「段葛(だんかずら)」といい、桜の並木路が続いています。この絵は狛犬がある二ノ鳥居付近から満開の桜が咲く八幡宮方面への段葛を眺めた絵です。


鶴岡八幡宮の大銀杏の芽生え

 2010年の3月に、鶴岡八幡宮本宮への石段脇にある老木の大イチョウの樹が、強風によって根本から倒れたというニュースが報道されました。鎌倉時代に、この樹の陰に隠れていた別当公暁が当時の将軍 源実朝を暗殺したという歴史のある老木でしたが、1年ほど経った現在、その倒れた樹の根本から新しい芽生えが一斉に生え始めていました。


参道から見た鶴岡八幡宮の舞殿と本宮

 大イチョウの樹が倒れる前に描いた、太鼓橋付近から見た八幡宮の舞殿と本宮の遠望です。1月だったので、大イチョウの樹は葉が全部落ちていました。


極楽寺の山門

 江ノ電で江ノ島方面に向かう途中、駅名にもなっている極楽寺があります。1259年に創建された真言律宗の寺で、広大な寺域をもっていました。現在は江ノ電の線路脇の崖上に、風情のある茅葺きの山門があり、桜並木の参道の先に本堂(釈迦堂)、大師堂などが残っています。


極楽寺の本堂

 極楽寺の開山は良観坊忍性(にんしょう)で、施薬院などを作ったり貧民を救済するなど、当時 社会事業を行ったことで有名な僧侶で、裏山に巨大な「忍性塔」と呼ばれる五輪塔の墓石が残っています。昔は七堂伽藍があったと言われますが、兵火などで焼失し、現在は本堂など数棟が残るのみで、市内の諸寺院に比べて静寂な雰囲気を保っています。


成就院の山門

 極楽寺から長谷の海岸に向かって切通しの極楽寺坂を下ると、坂の途中に成就院があります。石段状の参道の両側には紫陽花(アジサイ)が植えられ、6月には色とりどりのアジサイの花が参道を埋め尽します。山門からは由比ヶ浜の海岸が一望できます。


御霊神社

 極楽寺坂を下り江ノ電の踏切を渡ると、鎌倉権五郎景正を祭神とする御霊(ごりょう)神社、通称 権五郎神社があります。平家出身の五家の祖霊を祀った五霊が名称の起源と言われており、鎌倉幕府が出来る以前からある古い神社です。境内にはイチョウやタブの大樹があり、面掛行列という行事で知られています。


長谷子ども会館

 鎌倉市には、明治から昭和の初期にかけて建てられた洋風建築物が数多く残されていますが、近年 老朽化と所有者の変化により、その姿が次第に消えてゆく状況にあります。そのため鎌倉市では平成8年に「鎌倉市都市景観条例」を施行して、「景観重要建築物等」としてこれらの建築物を指定し、その保存と活用を図る制度が設けられました。その幾つかの建物を紹介します。長谷子ども会館も明治41年に建てられた旧福島・諸戸邸を利用したもので、ギリシャ建築の様式を採り入れた、華麗な装飾をもつ建物です。


鎌倉聖ミカエル教会の会堂

 鎌倉には古い神社仏閣が数多くありますが、「景観重要建築物」として市内にあるキリスト教会の会堂も幾つか指定されています。小町通りに面した、聖公会(英国国教会)に所属する聖ミカエル教会の会堂(昭和8年建造)もその一つで、細部に手の込んだ美しい細工が施され、昭和初期の鎌倉大工の力量を示す貴重な存在です。


日本基督教団鎌倉教会会堂

 日本基督教団の鎌倉教会は大町・由比ヶ浜通りの江ノ電線路脇にあり、大正15年(1926年)にハリス記念鎌倉メソジスト教会会堂として建てられ、初期ゴシック的なスタイルを持った戦前のプロテスタント建築の代表例の一つといわれ、これも鎌倉の景観重要建築物に指定されています。


鎌倉教会付属ハリス記念鎌倉幼稚園

 上記の鎌倉教会に付属している歴史のある幼稚園です。梅鉢型園舎と呼ばれる八角形の建物の中央に遊戯室があり、その周囲に舞台、教室が配されています。明治43年(1910年)の創立で、関東大震災後 大正14年に再建され、これも鎌倉景観重要建築物に指定されています。


日本基督教団鎌倉雪の下教会の会堂

 JR鎌倉駅前の鎌倉警察署の横にある長老派のプロテスタント教会で、大正6年(1917年)に創設された歴史のある教会です。現会堂は1989年に再建されたものです。同名の鎌倉雪の下カトリック教会は少し先の段葛脇にあります。


鎌倉市立御成小小学校の正門(御成門)

 昭和6年に皇室の鎌倉御用邸が廃止され、その跡地に御成小学校が建てられました。現在の校門は、御用邸の正門であった冠木(かぶき)門を当時のまま利用したもので、校名の看板の字は高浜虚子が書いたものです。門前には、鎌倉時代に問注所(訴訟や裁判等を所管する所)があったことを示す石碑が建っています。


釈迦堂切通しの洞門

 鎌倉は三方が山に囲まれ、一方が海に面した要塞堅固な地形を利用して鎌倉幕府が置かれました。そのため当時、外部から鎌倉へ入る七つの交通路(切通し)が造られました。この洞門のある「釈迦堂切通し」は、市内の切通しとして浄明寺地区と大町地区の谷戸を結ぶ山道に造られたものです。切通を登り切った所には、中世に造られた内部に“やぐら”のある岩のトンネルがあります(落石の危険防止のため、通行禁止の標識が立っています)。“やぐら”は鎌倉付近の各所に多く存在する、山腹等に造営された鎌倉・室町時代の横穴式の墳墓(納骨所、供養堂)です。この近辺にも「日月やぐら」「唐糸やぐら」など著名な“やぐら”群が多数あり、そのほとんどは私有地の中にあります。


報国寺の鐘楼

 浄明寺地区にある臨済宗の報国寺は「竹の寺」として知られています。足利尊氏の祖父 家時によって鎌倉時代中期に創建された寺で、石仏や石灯籠を配した竹の庭の散策道を歩いていると、なかなかの風情が感じられます。


旧華頂宮邸の邸宅と庭園

 報国寺の門前の道を、仏師 宅間法眼が住んでいたという宅間ヶ谷の奥へ進むと、景観重要建造物に指定されている昭和4年に建造された旧華頂宮邸があります。広い庭園を有するハーフティンバー様式の第二次大戦前の貴重な洋風住宅で、鎌倉文学館(旧前田家別邸)と共に国の登録有形文化財に指定されている重要な建造物です。


浄妙寺の本堂

 滑川に沿って金沢街道を少し行くと、源頼朝の重臣、足利義兼が文治4年(1188年)に創建した臨済宗・鎌倉五山の第五位の浄妙寺があります。山門から石畳の先に、銅葺きの優雅な本堂が見えます。


浄智寺・総門付近の秋の夕景

 北鎌倉駅で下車し、駅前の鎌倉街道を鎌倉方面へ向かって歩いてゆくと、横須賀線の踏切の少し手前の道を右に入ったところに浄智寺があります。鎌倉五山の第4位に位置する臨済宗の寺院です。簡素な総門の前には緑の苔に覆われた鎌倉十井の一つ「甘露の井」があり、石段を上がってゆくと2階に梵鐘を吊した楼門があって、その先に仏像のある曇華殿があります。


紅葉の長寿寺境内

 浄智寺から鎌倉街道を更に鎌倉方面へ進むと、建長寺の外門が見えてきますが、道の右側に鎌倉七切通しの一つ「亀が谷坂」へ入る小道があり、その手前角に臨済宗の長寿寺があります。足利氏の菩提寺として知られており、足利尊氏の墓所もありますが、茶席や会席で建物を利用する場合を除いて拝観はできません。ちょうど紅葉の盛りの時期でしたので、境内を覗いてその風景を描きました。


鎌倉駅の夕暮れ

 晩秋の黄昏(たそがれ)時のJR線の鎌倉駅は、日没と同時に急に寒さが増してきますので、帰りを急ぐ観光客で駅の表口の改札所付近は大勢の人で賑わっていました。 


湘南・江ノ島の海岸風景

 藤沢市や鎌倉市など湘南の海岸および江ノ島へも良く行きますので、その風景をここに追加しました。



鎌倉・七里ガ浜の冬の風景

 鎌倉から藤沢まで、江ノ島を経由して江ノ島電鉄(通称 江ノ電)の電車が走っていますが、途中の七里ガ浜や稲村ケ崎の駅で途中下車すると、相模湾に面した七里ガ浜海岸の波打ち際を歩くことができます。冬の晴れた日には、海岸の西方には江ノ島が見え、その向こうには雪を頂いた富士山や箱根の山々を展望することができます。


冬の鎌倉・稲村ケ崎の海岸

 稲村ケ崎駅で下車し、冬の荒波が打ち寄せる海岸から見た稲村ケ崎です。元弘3年(1333年)に新田義貞が鎌倉に攻め込んだ場所で、その歴史的記念碑や、コレラ菌の発見者コッホ博士記念碑、逗子開成中学生のボート遭難碑などが公園内にあります。この辺りの砂浜には砂鉄が多く存在しているので、砂浜の色が赤黒く色づいて見られます。


江ノ島神社への参道

 江の島へは対岸の腰越の町から江ノ島大橋(弁天橋桟橋)を渡って島に入ります。土産物店が並ぶ参道を進むと、朱塗りの大鳥居と竜宮形楼門の瑞心門が見え、更に階段を上ってゆくと江ノ島神社邊津宮(へつのみや)の社殿があり、隣接する奉安殿には妙音弁才天裸像(弁天様)が安置されています。



江ノ島神社境内からの風景

 邊津宮の境内からは、今登ってきた瑞心門の屋根の向こうに参道と歌舞伎の弁天小僧の舞台となった老舗旅館「岩本楼」や土産店の屋根が並び建っているのが見え、また弁天橋の向こうの対岸にある片瀬・腰越の町が遠望できます。



鵠沼海岸から見た富士山

 2015年の正月に見た藤沢市の鵠沼海岸から見た風景で、真っ青な快晴の空に、真っ白な雪を頂いた富士山の美しい姿を眺めることができました。海の波の上にはサーフィンを楽しむ多くのサーファーたちが、打ち寄せる大波に乗って遊んでいる姿が見られました。


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